主の公現(祭日)ABC年共通

福音=マタイ2:1-12


「東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった」(マタイ2:9

 

 偉大な人物が出現する際に新しい星が出現するということが、古代では広く信じられていた。きょうの福音においても、星がメシアの誕生を告げるしるしとして大切な役割を果たす。このようなメシアのしるしとしての星の役割の背景として旧約聖書の民数記22-24章の「バラム物語」が考えられる。

 エジプトを脱出してヨルダン川対岸のモアブ平野に宿営しているイスラエルを前にして、モアブ王バラクは、ユーフラテス川流域の町に住む有名な預言者であったバラムを招いて、イスラエルを呪うようにと願う。こうして東の山々から来たバラムは、モアブ王の再三にわたるイスラエルの民を呪うようにという要請にもかかわらず、神のみ心に目を開かれて、イスラエルを呪うかわりに祝福する。そのなかで、バラムは次のように神のことばを告げる。

 「ひとつの星がヤコブから進み出る。

  ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり…」(民24:17

 きょうの福音に登場する「博士たち」は、職業的預言者バラムと同じような職務を行なう異教の祭司たちである。メシアを求めて旅し、ついにメシアとの喜びの出会いをとげる彼らの姿は、異邦人たちがイエス・キリスト(メシア)に出会い、信じるようになる初代キリスト教会の状況を物語っている。

 メシア誕生の喜びは、イスラエルだけの喜びではなく、博士たちによって象徴される異邦人の喜びでもある。そしてこの喜びは、イエス・キリストを信じる者にとって、神の国の完成のときである終末時における救いの喜びの先ぶれと言える。キリスト者とは、神の国の建設に参与する者であり、これはキリスト者に与えられている使命であると同時に恵みでもある。キリスト者の喜びとは、単に救いの「保証」にあるだけではなく、このような使命が与えられていることにある。キリスト者がこの世では小さい者であっても小さくないのは、この使命を担っているからだ。このように考えるならば、「主の公現」とは、わたしたちキリスト者にとって、その使命を新たに確認する時でもあると言えるだろう。わたしたちも星の導きに従って、神の国完成のときを目指して共に歩んで行こう。