主の昇天 C年
福音=ルカ24-53
「イエスは祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」(ルカ24:51)
主の昇天の祭日の第一朗読は毎年、使徒言行録の冒頭部分である。今年はC年なので、福音はルカ福音書の結びをなす「昇天」の出来事が朗読される。使徒言行録の著者はルカ福音書と同一人物とされる。福音書がイエスの出来事を語るのに対して、使徒言行録はその書名が示すように、使徒たちの宣教活動を描く。ルカ福音書の末尾と使徒言行録の冒頭にはイエスの昇天の出来事が語られており、この出来事が両者を結び付けている。ただし、両者の記事には相違点もある。ルカ福音書では復活から昇天までは一日の出来事として描かれているが、使徒言行録では、昇天は40日後の出来事とされる。いずれにしても大切なことは、聖霊を派遣する「約束と祝福」という点である。
ところで、神による「約束と祝福」は、そもそもイスラエルの救いの歴史の始まりを告げるものである。すなわち、創世記12章2節で、主はアブラムに次のように言われる(ヘブライ語からの逐語訳)。
わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものにし
あなたは祝福となる。
これによると、「祝福」とは「約束」の内容を指し示すだけではなく、主が約束した相手であるアブラムが「祝福」そのものになるというのだ。
イエスの昇天の際の「約束と祝福」の内容は「聖霊の派遣」ということだった。聖霊とは御父と御子の愛の交わりを示すものなら、弟子たちが「祝福」そのものになるとは、弟子たちがこの「愛の交わり」そのものになることである。そうであるなら、聖霊降臨によって誕生した教会とはこの「愛の交わり」そのものだと言えよう。
昇天の出来事は、「イエスの時」と「教会の時」の接点にあって、新しい救いの歴史の始まりを告げている。そして、アブラムが、主の言葉に従って旅立ったように(創12:4)、教会もこのときから「証人」(ルカ24:48、使1:8)としての使命を担ってその第一歩を踏み出したのである。
この中に「イエスが昇天した際の足跡」と言われるものがある。
(ウォルフガンクE.パックス著、三浦朱門・曽野綾子訳『図説 聖書の世界I イエスの歩いた道』学習研究社 1977年、P.230)
カトリック高蔵寺教会