四旬節第4主日A年

福音=ヨハネ9:1-41


「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」(ヨハネ9:39

 

 「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」(サム上16:7)と主は言われる。人は見ても見えない。私たちは皆、生まれつき霊的盲目なのだ。それに気づかず「見える」と言い張るところに私たちの罪がある(今日の福音)。生まれつき目が見えない人のいやしとは、霊的に盲目な私たちに対する神の照らしを意味する。それによって以前は闇の中にいた私たちは今、光の中にいる(第二朗読=エフェ5:8-14)。そして私たちもダビデが受けた恵みや生まれつき目の見えない人が受けた恵みをいただく。生まれつき目の見えない人は少しずつ信仰に導かれる。闇も照らしによって明らかにされて光となる(第二朗読)。「知りません」(ヨハ9:12)→「預言者」(9:17)→「神のもとから来られた」(9:33)→「人の子」(9:35)→「主よ、信じます」(9:38)。ここにも一つの信仰の模範を見出す。