年間第12主日―C年

福音=ルカ9:18-24


「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(ルカ9:20

 

  きょうの福音の18-20節は、「供食奇跡」(10-17節)を間に挟んで7-9節と対応し、いずれも「イエスとは誰か」をテーマとする。7-9節における「ヘロデの誤認」に対して、18-20節では「ペトロの信仰告白」が対比的に示される。ルカはマタイやマルコと比べて、弟子たちの無理解を省略するか緩和する傾向にある。イエスを正しく理解する者だけにイエスの「死と復活の予告」(第一回目)がされ、イエスに従う者の生き方が示される。

 

  何が弟子たちを正しいメシア理解へと導いたのだろうか。イエスはまず「神の国について語り」(11節)、続いて人々に日毎の糧(パンと魚)を与える(16節)。これに対して「神からのメシア」という信仰告白がなされ(20節)、信従の命令が与えられる(23節)。これらの展開は、たぶん初代教会で行われていた聖餐式と並行するだろう。これと同様の展開は、「エマオに向かう弟子たちへのイエスの復活顕現」(24:13-35)にも見られる。まず二人の弟子たちが旅の途上で語り合っていると(14-15節)、イエスが現れるが、彼らはイエスを誤認する(16節)。それにかまわずイエスは共に歩きながら旧約聖書の説き明かしをする(25-27節)。そしてイエスは弟子たちにパンを与えて共に食事をする(30節)。その時、彼らは初めてイエスを認識した(31節)。これに続いて語られる「弟子たちへの復活顕現」(24:36-49節)にも同じ展開がある。イエスの食事(43節)を挟んで、弟子たちの誤認(37節)と旧約の説き明かし(44-47節)が対比的に示される。これらに共通する要素は、①弟子たちの誤認→②神のことばとパン→③正しいメシア理解という展開である。これはミサの要素と対応する。イエスの弟子たちは、生前イエスから聖書の説き明かしを受けていただろう。そしてイエスの死後、復活の光に照らされつつ「イエスとは誰か」を聖書の中に探し求めたにちがいない。キリスト者とは「イエスとは誰か」という問いを掲げつつ、自らの生き方を通してこれに答えようとする者と言えるだろう。この問いなくして、イエスの信従の呼びかけに応えることはできない。そしてこの問いへの答えはミサ(神のことばと聖体)を通して深められていく。

 

(写真と解説はウィキペディアによる)

  この教会の正式名称は「パルミスの聖マリア教会」であり、ローマ南東にある小さな教会であるが、もっぱら「ドミネ・クォ・ヴァディス教会」としてよく知られている。聖ペトロがローマでの迫害から逃れるときに、イエスと会ったとされるのはこの教会が建つ場所である。カトリック教会の古い伝承によれば、ペトロはイエスに「ドミネ・クォ・ヴァディス?」(主よ、どこへ行かれるのですか?)と尋ね、それに対してイエスは「エオ・ロマム・イテルム・クルチフィギ」(再び十字架に架かりにローマに行く)と答えたとされる。教会の通称はこれによる。教会中央の大理石の板の上に二つの足跡があり、これはキリストによる奇跡の聖遺物とされる。教会の正式名称の「パルミス」とはこのイエスの「足裏」を意味する。