年間第14主日(B年)
福音=マルコ6:1-6
「この人は、大工ではないか」(マルコ6:3)
イエスの幼年時代について新約正典が伝える情報は少ない。その分、新約外典は、イエスの幼年物語を想像力豊かに描いている。私たちクリスチャンに馴染み深いのは、御絵に描かれているような「大工」ヨセフを手伝う「大工の子」イエスの姿である。
しかしながら、このイメージはユダヤ人社会の常識を知らないことによる大いなる勘違いのようである。ユダヤ人学者ヴェルメシュは自著の中で「大工イエス」について次のように述べている。
イエスの世間的な職業はよくわかっていない。伝説によるならば、彼は大工であって、その業を父から習ったということであるが、これは弱い根拠に基づくものである。それは、イエスがナザレの会堂で、最初にして最後の説教をしたあと、町の人々は、どうして「あの大工」が(マルコ 6:3)、または「大工の子」が(マタイ 13:55、マルコ 6:3異読)あのような深い知恵を得たのかを理解できなかった、とあることである。彼は自身が大工であったのか、ただ大工の息子であったのか。諸福音書のギリシア文はまちまちの状態である。これは通常、(a)だれかがそのまま言ったのでは教義的に困ると考えて言い直したためか、あるいは、(b)典型的にユダヤ的な事柄をギリシア語で表わすときに、何か言語学的問題があったのか、いずれかであろう。ここでは、第二の場合を当てはめてみよう。
会堂の会衆は驚きの声をたてて言った。
「彼はどこからこんな力をえたのか」。
「これは何という深い知恵だ……」。
「この人は大工/大工の子ではないか……」(マルコ 6:2-3)。
さてイエスの語った国語になれていた人たちは、昔のユダヤの文書にある「大工」とか「大工の子」という隠喩的な用法をよく知っているはずである。タルムードの言葉に、大工とか職人(naggar)をさすアラム語の名詞は、「学者」とか「教養ある人」をさしているのである。
「これはどんな大工でも、大工たちの子でも説明できることではないか」。
「それを説くような大工も、大工の子もいない」。
このように、今引用したタルムード[紀元三-五世紀]にある言葉が、はたして第一世紀のガリラヤですでに流通していたかどうかについては、だれも確言できないのである。ではあるが、このようなことわざはおそらく大変古いものである。だがもしそうだったとすれば、「大工イエス」という親しみ深い姿は葬り去られ、忘れ去られるべきものだろう。(G.ヴェルメシュ著、木下順治訳『ユダヤ人イエス』日本基督教団出版局 1979年、pp.22-23)
イエスはガリラヤの「僻村ナザレ」出身の無学な「大工の子」ではない。北イスラエルの思想的伝統を継承するガリラヤの、「預言者」を輩出する地政学的な要地ナザレから出た第一級の知識人であった。
カトリック高蔵寺教会