年間第18主日A年
福音=マタイ14:13-21
「すべての人が食べて満腹した」(マタイ14:20)
福音書は、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの順に書かれたということが定説である。各福音書の著者はそれぞれが置かれたキリスト者共同体の状況を背景として、共同体の信仰を代表して福音書を書いた。それで、同じ出来事を伝えるにしても、そこには異なる視点が見られる。
今日の福音である「共食奇跡」についても、四つの福音書はそれぞれの視点からこの奇跡物語を描いている。
マルコにおいては、弟子たちの信仰の弱さが強調される。裏返して言えば、イエスのメシアとしての力が強調されていると言える。
ルカにおいては、弟子たちを信仰告白に導くための出来事として設定されている。ルカは、マルコとマタイを折衷して物語を構成しているようだ。
ヨハネにおいては、弟子たちへの試みとして描かれており、弟子たちや人々の無理解ということが強調される。
それでは、マタイはこの「共食奇跡」を通して、何を語ろうとしているのだろう。マタイの特徴は、この出来事を洗礼者ヨハネの殺害(14:1-12)と直接関係づけるという点にある。出来事の発端は、洗礼者ヨハネの殺害という事件である(14:13)。この事件は、イエスにとって自らの死を予感させる出来事だっただろう。いつかは弟子たちを残して去って行くときが来るが、そのときのために自分がいつも弟子たちと共にいて、命の糧を与えるということを弟子たちに悟らせなければならない。そのためにイエスはこの「共食奇跡」によって、弟子たちを教育しようとしたのだ。つまり、マタイにおいてこの奇跡物語は、弟子たちを信仰告白に導くための体験学習として描かれていると言えるだろう。
私たちにとって、「共食奇跡」の場はミサにある。ミサとは、命の糧を受ける場であると同時に、イエスに従おうとする者たちへの教育の場でもある。だからこそ、私たちは聖体拝領の前に弟子たちと同じように信仰告白する-「あなたは神の子キリスト、永遠の命の糧」。
カトリック高蔵寺教会