年間第19主日(B年)
福音=ヨハネ6:41-51
「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」(ヨハネ6:51)
「世を生かすため」はギリシア語本文では「世の命のため」であり、この「命」は、「永遠の命」(47節)、「命のパン」(48節)と同じ名詞「ゾーエー」が使われる。「天から降ってきた生きたパン」(51節)の「生きた」は「ゾーエー」と同根の動詞ザオー(生きる)の現在分詞、「その人は永遠に生きる」の「生きる」はザオーの未来形である。新共同訳は「いのち」を意味するもう一つの名詞「プシュケー」に「生命」の訳語をあてて「ゾーエー」と区別する。プシュケーが文字通りの「生命」とするなら、「ゾーエー」は「人として生きること」「人間らしい生活」と言えよう。単に息(プシュケー)をしているのではなく、人間らしく生きてこそ、生きられてこそ真の「いのち」と言える。
映像ジャーナリストの綿井健陽さんは、朝日新聞連載コラム(全5回の最終回)の中で、次のように書いている。
小麦粉を練って焼いたパンの「ナン」や「チャパティ」は、インドや中近東の料理には欠かせない主食だ。
焼き方や材料は少し異なるが、イラクでは「ホブス」と呼ばれる、円形で薄いパンを毎日食べていた。釜で焼いたばかりのあつあつのホブスは、おかずが何もなくても、それだけで二つ、三つと食べてしまう。
イラク戦争の最中でも、途中から閉じていた店が少しずつ再開し、バグダッド市内は「戦争の中の日常」を取り戻していった。パン屋さんに並ぶ人たちに話を聞いてみると、政府から支給された小麦粉や買い込んでいたホブスは家にあるものの、それでも店までパンを買いに来たという。理由をたずねると、彼らは言った。「だって、焼きたてを食べたいじゃないか」
確かにそうだ。たとえ戦争がずっと続いても、少しでもおいしいものを食べたいと願うのは、人間の自然な欲望だろう。イラクで取材した映像を、ドキュメンタリー映画「Little Birds-イラク戦火の家族たち-」としてまとめた。その中で、空爆で3人の子供を一度に失ったアリ・サクバンさんは希望についてこう語る。「時代はどんどん悪くなっていく。それでも日々は続いていく。私たちは自分たちの生活を取り戻したい」
銃声や爆音が響く街の中で、焼きたてのパンが食べられることを、「それでも明日があること」を、彼らは信じている。(「戦争取材の現場から その5-焼きたてのパン」朝日新聞2005年、掲載月日不明)
*新聞記事中の映画『Little Birds-イラク戦火の家族たち-』は2005年に日本で劇場公開され、ロカルノ国際映画祭人権部門最優秀賞を初め4つの映画賞を受賞した。DVD化もされている。
カトリック高蔵寺教会