年間第2主日A年

福音=ヨハネ19:29-34


「この方こそ神の子であると証ししたのである」(ヨハネ19:34

 

 きょうの福音によると、洗礼者ヨハネの役割は、イエスを証しすることである。洗礼者ヨハネの証しは、イエスが誰であるかを告げることにある。29-34節において、イエスは姿を垣間見させるだけで、一言も語らない。しかし、25節以降になると、洗礼者ヨハネは35-36節でイエスを弟子に紹介した後、まったく姿を消してしまい、それに代わってイエスが語り始める。証しするために来た洗礼者ヨハネの役割が終わり、イエスの時が始まる。

 そもそも「証し」ということは、ヨハネ福音書において最も重要なテーマの一つなのである。この言葉の新約聖書の全用例の半数以上がヨハネ福音書とヨハネの手紙に見られる。しかも、ヨハネ福音書では証しすべき内容はイエスの出来事にではなく、イエスが誰であるかということにある。イエスの出来事を証しするというのなら、出来事の目撃者でなければ証人になれない。しかし、イエスが誰であり、どのような意義を持つ方なのかを証しするのなら、必ずしも目撃者である必要はない。

 ちなみに、教父文書では「証し」は「殉教」を意味する言葉としても使われている。殉教は死に至るまで証しし続けることだからだ。その意味で、キリスト者の理想は、それぞれの生涯を通してイエスを証しし続けること、すなわち、イエスの教えに殉ずる生き方であると言えよう。一人ひとりの生活の場を通して、イエスを証しする生き方でありたい。