年間第21主日(A年)
福音=マタイ16:13-20
「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16:16)
今日の福音は、「ペトロの信仰告白」を中心に展開される。この箇所は他の共観福音書にも見られ、それらと比較するとマタイの特徴が明らかになる。マルコ(8:27-30)およびルカ(9:18-21)では、①イエスの問い→②弟子たちの答え→③イエスの問い→④ペトロの答え=「あなたは、メシアです」/「神からのメシアです」→⑤イエスの禁止命令、となっている。これに対してマタイでは以下のように、④と⑤の間に「イエスの答え」が挿入されており、これがマタイの特徴となっている。
①イエスの問い(13節)
②弟子たちの答え(14節)
③イエスの問い(15節)
④ペトロの答え=「あなたはメシア、生ける神の子です」(16節)
*イエスの答え(17-19節)
a)「わたしの天の父」が啓示する。
b)「わたし」が「あなた」(ペトロ=「岩」)の上に「わたしの教会」を建てる。
c)「わたし」が「天の国の鍵」を「あなた」に与える。
d)「あなた」が「つなぐ」「解く」。
⑤イエスの禁止命令(20節)
そもそも信仰告白とは、神からの「呼びかけ」に対する人間の応答であると言える。しかも、神からの「呼びかけ」にどのように応答したらよいかということさえも神ご自身が教えてくださる(17節)。そして、神は「呼びかけ」に応答する者を礎として、ご自分の「教会(エクレシア)」をお建てになる。「エクレシア」というギリシア語の背景には、「エダー」というヘブライ語があり、その動詞形は「ヤアド」(名指しで呼ぶ)である。したがって、神の「エダー」とは、神が「名指しで呼んだもの」、神が「ご自分のものとして定めたもの」という意味である。つまり、「神の教会」とは「神の民」のことなのだ。
「神の民」とは、神の「呼びかけ」に忠実に応答する人々である。忠実に応答しないならば、「神の民」は単なる「群衆」となってしまう。マタイにおける「弟子」と「群衆」の違いはここにある。そして神は、忠実に応答する者に対しては、使命と権能をお与えになる(18-19節)。その意味で、「教会(エクレシア)」は、神の「呼びかけ」、すなわち「みことば」に応答することの実りであると言える。「教会(エクレシア)」の礎とは「みことば」なのだ。
カトリック高蔵寺教会