「悔い改める一人の罪人については…大きな喜びが天にある」(ルカ15:7)
聖書の人間観には、「神が聖であるようにあなたたちも聖であれ」(レビ19:28、マタ5:48)という積極性と、壊れ病むことを認める現実主義が併存している。その基本にあるのは、一人ひとりの人間の自由意志を尊重する態度である。自由意志を尊重するとは、従うことも背くこともあるということだ。
外側から課された一定の戒律を犯せば、「罪」「罪人(つみびと)」と見なされる。信仰が神との約束でないとき、それは束縛となる。この束縛からの解放こそがイエスの福音である。約束(契約)は自由意志で決めることで、束縛ではない。だが、約束を破ってしまうことはある。「神の義」とは、神は決して約束を破らないということである。これに対して人間は破る、契約に背く。背いたと自覚したなら、約束を交わした相手に謝って、約束し直し、再締結する。この「契約再締結儀式」がミサである。
キリストの日に集まり、御名を唱えて祭りを始め、すぐに回心の儀を行う。先立つ6日間に約束を破ったことを思い、向きなおす。方向転換(ヘブライ語:シューブ/ギリシア語:メタノイア)、これが「回心」の意味である。