「(マグダラのマリアは)シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた」(ヨハネ20:2)
イエスの弟子たちの復活体験は、イエスに対する彼ら自身の背きによって生じた「壊れ」の回復、「平和(シャローム)」の体験から始まる。しかしながら、復活体験とは、それにとどまるものではない。弟子たちには復活体験を他の人々に告げ知らせる使命が与えられる。主の死と復活を告げ知らせることこそが、弟子たちの宣教の核であった。
きょうの福音の中で、空の墓を見たマグダラのマリアは、弟子たちのところへ「走って行って」告げる。この知らせを聞いたペトロともう一人の弟子(ヨハネ)も墓まで「一緒に走っ」た。主の復活を告げ知らせる者とは「よき知らせ(福音)」を走って知らせる伝令なのである(イザ40:9参照)。
その最も偉大な伝令は使徒パウロである。彼は自分自身の姿を競技場で走る選手として語る。しかも無駄に走るのではなく、賞を得るようによく走ることに自らも努め、また人にも勧める(1コリ9:24,26、ガラ2:2; 5:7、フィリ2:16)。しかし、それは自らの名誉のためではなく、「主の言葉が…‘速やかに宣べ伝えられる’」(2テサ3:1)ためである。これは直訳すると「主の言葉が…‘走る’」となる。つまり、パウロによれば、主の言葉を告げ知らせる人は主の言葉と一体なのである。ここに福音宣教の基本を見る。