「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(ヨハネ15:5)
水に乏しい暑熱の地では、木の存在はきわめて大きく、その価値は計り知れないものがある。木が生えているところはオアシスであり、そこは人間や鳥獣の住める場所であり、いのちそのものを意味する。なかでも、ぶどうの木は、パレスチナで生活する者にとって、イチジクやオリーブと並んで最も重要な果樹であって、繁栄や安寧の象徴だった。ぶどうを栽培するには、雑草の除去や枝の剪定など、たくさんの手入れを必要とする。良いぶどうの木からは赤ぶどう酒が作られ、それはパンと並んで、パレスチナ地方の食事の中心だった。ぶどう酒は活力を与える飲み物であったので、古代オリエントでは、健康と富の象徴でもあった。
きょうの福音は、こうした人々の日常生活を背景とした「農夫」「ぶどうの木」「枝」「実」という生き生きしたイメージをもって、イエスと弟子たちの関係を語る。
ヨハネ福音書において、「実」とか「実を結ぶ」という言い方は、イエスに源を発する人間のいのちの豊饒さを表わす。「実」は「まことのぶどうの木」であるイエスが結ばせる。イエスから流れ出る生きる力が、イエスに信頼し留まる者を清め、彼に豊かな実りをもたらす。