復活節第6主日A

福音=ヨハ14:15-21


「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」(ヨハ14:15

 

 今日の福音は最初と最後に、「主を愛する」ことと「主の掟を守る」ことの深い結びつきが語られる。

 15節 あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。

 21節 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。

聖書が言う「掟」とは「律法」と同義語である。イエスは「律法と預言者」(旧約聖書の総称)を完成するために来たと宣言する。そして、「これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる」と言う(マタ5:17-19)。またイエスは、律法学者から、律法の中でどの掟が最も重要かと試みられたときに、「心を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と、「隣人を自分のように愛しなさい」という二つの掟をあげ、この二つが「律法と預言者」の根本であると答えた(マタ22:34-40)。

 神を愛し、隣人を愛することは、神から人への愛に対する応答である。神は人がご自分への道を正しく歩めるように「方向指示」を与える。それがトーラー(律法)の元来の意味である。したがって、「掟」とは、何よりも神から人への愛なのだ。だからこそ、最も根本的な掟は「神を愛する」ことなのだ。しかしながら、イエスの時代、トーラーは人を縛る掟と化していた。

 こうした状況のなかで、イエスは弟子たちに「新しい掟」を与える-「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハ13:34)。「新しい掟」の新しさは内容にではなく、掟の与え方にある。イエスはご自分が御父のもとに帰って不在となったあとのために掟を与える。このことを今日の福音と重ね合わせるなら、この掟とは御父が遣わす霊(聖霊)のことだとわかる。つまり、「新しい掟」とは「新しい霊」のことなのだ。それは人を縛るものではなく、人を生かす。これはまさに、「新しい霊」を与えて、新しい神の民の回復を告げたエゼキエルの預言の成就と言える(エゼ36:26-28)。

 「新しい掟」は神と人、人と人との相互愛を回復させようとする方向指示である。これを助けるのが聖霊だ。それは御父と御子の相互愛から出る。御父と御子の相互愛は、「相互内在」として表出され、これに倣って、人と人との相互愛も「相互内在」として捉えられる。人と人との「相互内在」とは、一人ひとりに与えられている聖霊を認めて、互いの存在を受け入れ合うことである。