「この子の名はヨハネ」 (ルカ1:63)
福音朗読は、「洗礼者ヨハネの誕生」にちなんで彼の誕生と割礼の場面である。物語は、彼の命名を中心に展開されるが、そこでは神の救い業とそれに対する人間の妨げという聖書全体を貫くテーマの一つが語られる。
「ザカリア(ザカリヤ)」とは「ヤーウェがザカルする」、すなわち「神がはっきりと(救いを)意志する」という意味。「ヨハネ(ヨハナン)」とは「ヤーウェがハナンする」、すなわち「神が(選びの)恵みを与える」という意味。救いの歴史は「「ザカリア」(の名が意味する段階)から「ヨハネ」(の名が意味する段階)へと進展する。そしてこの歩みは「イエス(ヨシュア)」、すなわち「ヤーウェは救い」という最終段階へと進んでいく。
割礼には、神の言葉を受け入れるための妨げを切り開くという意味が込められている。人々が「ザカリア」から「ヨハネ」へという救いの歴史の進展を受け入れるためには、まず自らの妨げが切り開かれる必要があった。そしてそれはイエス・キリストを受け入れる準備であった。キリストの先駆者としてのヨハネの使命は、誕生の時からすでに始まっている。
このブロンズ像(写真)は私の叙階祝いに喜多見教会の信者さんのご主人(彫刻家)が作ってくださったものです。信者でない彼は聖書を読み込んで作像してくださいました。彼が思う木が見つからず、最終的には木ではなくブロンズとなりました。
数年後、この像とほぼ同じ等身大の木像を作り、美術展で受賞されました。その木像は、関口教会に寄贈され、信者会館入り口に置かれています。