「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」(マタイ16:18)
今日の福音は、「ペトロの信仰告白」を中心に展開される。この箇所は、他の共観福音書にも見られ、それらと比較すると、マタイの特徴が明らかになる。それは、「ペトロの信仰告白」の後に続く、イエスのペトロに対する特別の指示である(17-19節)。
そもそも信仰告白とは、神からの呼びかけに対する人間の応答であると言える。しかも、神からの呼びかけにどのように応答したら良いかということさえも神が教えてくださる。そして、神は呼びかけに応答する者を礎として、ご自分の「エクレシア」(教会)をお建てになる。この「エクレシア」というギリシア語の背景には、「エダー」というヘブライ語があり、その動詞形は「ヤアド」(名指しで呼ぶ)である。したがって、神の「エクレシア」-「エダー」とは、神が「名指しで呼んだもの」、言い換えるなら、神が「ご自分のものとして定めたもの」という意味である。つまり、「神の教会」とは「神の民」のことなのだ。
「神の民」とは神の呼びかけに忠実に応答する人々である。忠実に応答しないならば、「神の民」は単なる「群衆」となってしまう。そして神は、忠実に応答する者に対しては、使命と権能をお与えになる。その意味でエクレシア(教会)とは、神の呼びかけ、すなわち、みことばに応答することの実りであると言える。
今日、記念する二人の使徒聖ペトロと聖パウロは、その生い立ち、イエスとの出会いやその後の歩みは異なるが、二人とも神のよびかけに忠実に応え、自分の使命を全うして神に命を捧げ、教会の礎となった。