カトリック高蔵寺教会報
第129号
2016年9月25日
コ ル ベ
カトリック高蔵寺教会
〒487-0032
春日井市高森台 3-18-7
電話 0568-91-5048
平和旬間の行事として、「聖母の被昇天」(8月15日)のミサ中に、椎尾神父がプロジェクターを使って「春日井市内の戦争遺跡」について解説した。
〓春日井市内の戦争遺跡〓
春日井市は太平洋戦争のさなか1943(昭和18年)6月1日に、勝川町、鳥居松村、篠木村、鷹来村の1町3村が合併して誕生した。それは、当該地域にあった鳥居松製造所、鷹来製造所、鷹来製造所西山分廠の効率化を図るためであり、そこで働く労働者を中心に人口も増え、終戦までの一時、軍需産業都市として賑わった。
1.陸軍造兵廠鷹鳥居松製造所(王子町)
1939年、陸軍千種兵器製造所から独立した鳥居松製造所は九九式小銃の量産を目的とし、翌年から稼働して1943年には昼夜兼行で月産3万挺に達した。国鉄中央本線鳥居松駅(現在のJR春日井駅)から引き込み線が敷かれ、工場構内の入り口には門が設けられた。現在もJR春日井駅から王子製紙春日井工場への引き込み線として健在である。
九九式小銃は、1900年代末以降、長らく陸軍の主力小銃であった三八式小銃の後継として、1930年代後期に開発、採用された。前者より口径を大きくして、弾薬を九九式軽機関銃と共通化した。他工場も含めて250万挺生産されたと言われ、主に南方戦線に配備された。朝鮮戦争が勃発すると、没収された九九式小銃は改良されて、警察予備隊や韓国軍に配備された。自衛隊では1960年代にM1ガーランドに更新されるまで使用された。九九式小銃の開発陣は戦後、(株)豊和工業(清州市)で64式小銃を開発し、自衛隊に採用され、現在は自衛隊装備品の89式小銃や迫撃砲を製造している。
2.鳥居松製造所への空襲による死亡者の慰霊碑(王子町)
王子製紙春日井工場敷地沿いの歩道脇、上条町6丁目交差点近くに、鳥居松製造所への空襲で死亡した方の慰霊碑が建っている(1961年建立)。1945年3月25日、米軍爆撃機B29が鳥居松製造所に飛来、防空壕のうち三ヶ所が吹き飛ばされ26名の命が奪われた。その後も散発的に空襲が続いたが、8月14日には模擬原爆(5トン爆弾)4発が投下され、3発が鳥居松製造所に落下(1発は鷹来製造所に落下)し、工場は完全に破壊された。
3.陸軍兵器補給廠鳥居松分廠(上条町)
名古屋陸軍兵器補給廠(千種区)の支部で、鳥居松製造所のすぐ北側にあった。現在は、上条小学校、東春初中級学校の校舎と運動場になっている。
4.陸軍造兵廠鷹来製造所跡の碑(鷹来町)
春日井総合体育館角の歩道脇に1986年8月に建立された「鷹来製造所跡」の碑があり、次のような沿革が記されている。
昭和15年2月、九九式小銃弾製造工場用地として約26万坪(うち6万坪、西山町地内)を陸軍により強制買収され、敷地の造成、工場等建物の建設が始まる。昭和16年6月1日、名古屋陸軍造兵廠高蔵製造所鷹来分工場として発足、一部生産開始。昭和16年12月1日、名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所として開設され、造兵廠本部より、会計、医務、技術、作業、監督の各課分室と製造所庶務、工務、検査、後に防衛の各掛及び第一、第二、第三、第四、第六(西山町地内)の各工場、その第五、第七工場が設けられ、軍人、一般工員、徴用工員、女子挺身隊員、動員学徒、約一千名を加えてその数約五千有余命を超え、昼夜二交替制の激務の続く中、フル生産を行なった。昭和20年8月15日、終戦により工場閉鎖。
現在は、春日井総合体育館、春日井市清掃局、名城大学農学部、パナソニックなどになっている。
5.陸軍造兵廠鷹来製造所本館(鷹来町)
春日井総合体育館に隣接する名城大学農学部の構内に鷹来製造所本館だった建物が残されている。現在は大学の事務棟として使われているが、建物正面の壁面に陸軍のマークである星を外した跡がある。飛行機からわかりにくくするために、屋上に草を植えていたと言われる。
陸軍造兵廠は1923年3月29日に創設された。小銃・弾薬・火砲等の製造から馬具や軍刀に至るまで、国内4ヵ所の工廠と二ヵ所の兵器製造所において製造にあたった。1940年4月1日に、従来の陸軍兵器廠と統合され廃止。この陸軍兵器廠の下に各陸軍造兵廠が置かれた。
6.陸軍兵器補給廠鷹来出張所(鷹来町)
陸軍造兵廠鷹来製造所の端に、名古屋兵器補給廠(千種区)の支部があった。現在は、日本通運鷹来倉庫になっている。
7.陸軍造兵廠鷹来製造所西山分廠(西山町)
鷹来製造所の分工場で、火薬を扱うので鷹来製造所から1キロ離れたところに設置された。現在は陸上自衛隊春日井駐屯地となっている。
8.陸軍造兵廠鷹来製造所から西山分廠へ向かう途中の鉄道橋(桃山町)
鷹来製造所から西山分廠に通じる軍用鉄道が国道155線を跨ぐ鉄道橋が今も撤去されずに放置されている。
9.陸軍兵器補給廠高蔵寺分廠(高座町)
名古屋兵器補給廠(千種区)の支部。高座山をくりぬいた半地下式で、貯蔵能力は5,200トンと言われる。1945年の敗戦で米軍に接収されたが、1958年に返還され、現在は航空自衛隊高蔵寺分屯基地・高蔵寺弾薬庫になっている。
カトリック高蔵寺教会 教会報129号(2016年9月25日発行)より
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