年間第12主日

福音=マルコ4:35-41


「イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。静まれ』と言われた」(マルコ4:39

 

  旧約聖書において、神の創造の御業は、古代オリエント世界の創造神話を背景として叙述されている。すなわち、海には人間の力を越える怪物が住むと考えられ、神の創造とは、このような悪の領域である海に対する戦いなのである。そして、神の勝利は、海を永遠にその限界の中に押し込めることのなかにある。今日の第一朗読であるヨブ記の一節には、こうした「海」に対するイメージがよく表されている。

    海は二つの扉を開いてほとばしり、

    しかし、わたしはそれに限界を定め、二つの扉にかんぬきを付け

    「ここまで来てもよいが越えてはならない。

    高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。(ヨブ38:8-11

神こそが世界の創造者であり、すべてを支配していることがヨブに示される。

  しかし、イスラエルの民にとっての関心事は、世界の起源にあるのではなく、神の選びによる救いということにある。それは、出エジプトという彼らの具体的な救いの体験に基づいている。この出来事は、エジプトでの奴隷状態からの解放であるとともに、神の民の選び、すなわち神の民の「創造」でもあった。イスラエルにとって創造と救いは分かちがたく結ばれており、しかもそれは「神による海の制圧」というイメージを伴っている。出エジプト記に記されている「葦の海の奇跡」(14:1以下)も、こうしたイメージと関係がある。

    モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって

    海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。

    イスラエルの人々は海の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に

    壁となった。主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。(出 14:21,29-30

  今日の福音は、このようなダイナミックなイメージをもった「創造と救い」という背景のなかで語られている。イエスは、「黙れ、静まれ」という力強い言葉で嵐を静める。イエスが力ある言葉によって海を打ち負かすとき、そこには新しい何かが創造されている。その新しい何かとは、信じる者へと新たに生まれ変わりつつある弟子たち自身なのである。今日の第二朗読の『コリントの教会への手紙』のなかで、パウロは「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」(2コリ5:17)と言う。この福音を聞く一人ひとりがキリストに結ばれて、「新しく創造された者」となる。私たちのなかにある「古いものが過ぎ去り、新しいものが生まれ」(2コリ5:17)る。