年間第16主日(B年)
福音=マルコ6:30-34
「イエスは、大勢の群集を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」(マルコ 6:34)
きょうの福音は先週の福音である「十二人の派遣」と内容的につながっている。そこではまず、宣教から帰ってきた弟子たちをイエスは「休ませる」。次に、弟子たちの休息場所である「人里離れた所」(「荒れ野」を意味する)にまで押しかけてくる群衆をイエスは「深く憐れむ」。これが来週の福音である「五千人に食べ物を与える」奇跡物語への伏線になっている。
きょうの第一朗読である『エレミヤの預言』にも出てくるように、旧約聖書では、指導者もなく、打ち捨てられた民の状態を描写するのに、「牧者のいない羊の群れ」という比喩が使われる。「牧者」が「羊の群れ」にとって、どれほど大切な存在かは、きょうの答唱詩編である詩編23編がよく示している。この詩編は、「エジプト」を出た神の民が「荒れ野」を経て「約束の地」に到達するという「救いのプロセス」(救いの原型)を美しく表現している。「神はわたしを緑のまきばに伏させ、いこいの水辺に伴われる」(詩23:2=典礼訳)ここで言われている「緑のまきば」とは青々と茂った牧草地ではなく、荒れ野のなかに所々ある草地を意味する(新共同訳=「青草の原」)。「荒れ野」は神の民にとって苦しい試練の場であるが、その試練は、神にのみ依り頼んで生きることを身をもって知るための場でもある。
イエスが弟子たちの休息場所としたのは、このような「荒れ野」であった。彼らの後を追って群集は後先のことを考えずに「荒れ野」へ出ていく。だが、「荒れ野」に行けば途端に飢えることは目に見えている。それはまさに、モーセについてエジプトを出たイスラエルの民に似ている。こうした人々の有様を見たイエスは深く憐れみ、神の民の歩むべき道を教える。教えるだけではなく、彼らを青草の原に導いてパンを与える(年間第17主日B年の福音)。
カトリック高蔵寺教会