年間第17主日(B)

福音=ヨハネ6:1-15


「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた」(ヨハネ6:11

 

 きょうの福音は、イエスが「パン五つと魚二匹」で五千人を「満腹させる」という出来事である。人々は確かにパンで「満腹した」のであり、その証拠として、パン屑で十二の籠が「いっぱいになった」ことが報告されている。ここで「満腹する」と訳されているギリシア語は「エムピプレーミ」であるが、共観福音書の並行箇所ではいずれも「コルタゾー」が使われている。ヨハネは6章26節では、「しるし」を理解しない否定的な意味で「コルタゾー」(満腹する)が使われる。そうであるなら、ヨハネはここで、人々が単に「満腹した」だけではなく、「満たされた」と言おうとしているのではないか。つまり、人々はパンで「満腹する」という体験を通して「満たされる」体験に導かれたのだ。ここにもう一つの「奇跡」が起きたのであり、パンで「満腹する」ことが、イエスによって与えられるいのちのパンで「満たされる」ことの「しるし」となっているのだ。だが、ここではそれはまだ含蓄的にしか示されない。弟子たちは「復活体験」を経て初めてこの出来事の意味を悟るのである。