年間第18主日C年

福音=ルカ12:13-21


「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」(ルカ12:21

 

 今日の福音で「遺産」と訳されているクレーロノミアというギリシア語は、クラオー(割る)という動詞から派生したクレーロスという名詞が元になっている。クレーロスとは「くじ」を意味し、元来はくじに用いる石の破片や木片を表す。くじを引くのは神の意志を探るためだった。そのようなくじは土地を分配するときにも使われたので、そこから「分け前」、「くじで分けた土地」、さらに「遺産」を意味するようになった。

 そもそもイスラエルにとって、土地は神から与えられたものであり、そこでは神の秩序が支配する。イスラエルがその土地に留まるためには、神の掟に従わなければならない。神の選びにおいて、その民と土地とは切り離せないものなのだ。旧約における選び、契約、土地は密接な関連を持っており、それは新約においても同様である。ただし、クレーロスは旧約では主に「約束の地」、特にそこでの「分配された土地」を表すが、新約では「神の国」、「永遠の命」を意味する(マタ5:3-10)。

 すでに来られた方であり、また再び来られる方であるイエス・キリストによって、私たちは永遠の命を約束されている。その意味では、救いは現在のものであると同時に未来のものでもある。そのためにイエスは、私たちに「用意する」ことを命じる。「神の前に豊かになる」とは、このような用意をすることなのだ。しかしながら、この「用意」は、すでに与えられている救いに対する応答でもある。このことを忘れるなら、いくら用意しても「愚かな者」と呼ばれることになる。救いは遠い将来の不確かなものとして約束されているのではない。それを約束される方への信頼がそれを確かな現在のものとする。