年間第20主日(B)

福音=ヨハネ6:51-58


「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」(ヨハネ6:53

 

 きょうの福音にも出てくるが、イエスは重大宣言をする際に、まず「アーメン、アーメン、わたしはあなたがたに言う」という表現で切り出す。新共同訳は「はっきり言っておく」と訳すが、適切な翻訳とは言えない。「明確に言う」というようなことではない。この「アーメン」とは、「旧約のアーメン」に対する「イエスのアーメン」である。「旧約のアーメン」とは旧い契約に従うイスラエルの生き方を象徴する。それは、このイエスの言葉を聞いているユダヤ人の生活全体を包摂する。そのような聴衆に向かってイエスは「私のアーメン」、すなわちイエスの生き方、そしてイエスに従う者の生き方はこうだと宣言する。したがって、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」(54,56節)とは、この新しい生き方を象徴する表現と言える。イエスが提示する生き方の内にこそ「永遠の命」(54節)がある。イエスの生き方は「わたしの肉を食べさせ、その血を飲ませる」、すなわち自己を他者に与え尽くす生き方である。そうであるならば、「永遠の命」が何を意味するかが自ずとわかってくるはずだ。

 「聖体拝領」(「聖体拝領」を表わすラテン語コムニオは「交わり」の意)は聖体を拝領する瞬間だけのことではない。「キリストのからだ」に与る(コムニオする)者は、その生き方にも与る(コムニオする)よう導かれる。それは、私自身が「人に食べられるパン」になることだ。司祭は「キリストのからだ」と言って聖体を渡す。それに対して拝領者は「アーメン」と答えて聖体を拝領する。その「アーメン」は拝領者自らも「食べられるパン」になることの重大な決意表明なのだ。