年間第2主日(C年)

 

福音:ヨハネ2:1-11


イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された」(ヨハネ2:11

 

 降誕節が終わり年間主日が始まった。一年の典礼を通して私たちは、イエスの一つひとつの教えと行いに導かれて歩んで行く。そして毎年、年間主日の最初に私たちが目指している信仰のあり方が教えられる。

 今年はC年に当たるので、ルカ福音書が読まれる。きょうの福音は、イエスが弟子たちの前で水をぶどう酒に変えるという最初の「しるし」を行って、その栄光を現し、弟子たちが信じたという「カナの婚宴」の出来事です。弟子たちはこの出来事を通して信仰のあり方を教えられたのであり、今、この福音を聞いた私たちも同じ体験をする。

 きょうの福音は「水がぶどう酒に変えられる」という奇跡物語にちがいないが、この物語には他の奇跡物語に見られるような奇跡を引き起こす言葉や動作がまったく描かれない。イエスがそこにいること自体が奇跡をもたらしたのである。そして、マリアと召し使いがそれを助ける。

 マリアは親しい人の婚礼の手伝いに来ていたようだ。ぶどう酒がなくなるというハプニングに遭遇して、彼女は何とかしようとしてイエスに助けを求める。これに対してイエスは、今は私にはできないが、神が望むならぶどう酒が与えられると答える。この答えは、旧約聖書が語る「終末の祝宴」(イザヤ25:6-8)を前提としていてわかりにくいが、イエスはマリアの願いを拒絶したわけではないだろう。イエスは、「時」は神の御手の中にあり、ご自分もその中にあると言いたかったのだろう。それは、父なる神への信頼の表れにほかならない。だからこそ、この答えを聞いたマリアも神に、そしてイエスに信頼して、「イエスの言うことは何でもしなさい」と召し使いに命じる。そして、召し使いたちもマリアの言いつけ通りにイエスの指示に忠実に従った。

 イエスとマリア、そして召し使いの信頼と忠実が次々にバトンタッチされていく。水がぶどう酒に変えられたのは、まさにこうしたイエスと彼を取り巻く人々の信頼と忠実の中においてなのだ。信頼と忠実が奇跡をもたらす。

  しかし、宴会の世話役も花婿も他の客も、このぶどう酒の由来を知らないまま、これを飲んで宴会を楽しんだにちがいない。神は信頼と忠実のうちに生きる人にそっと救いの手を差し伸べる。だが、そうでない者はそれと気付かずに過ごしてしまう。これが神の栄光の現し方である。きょうの福音はそう語っているようだ。「水がめに水を入れる」忠実な召し使い、それが私たちに信仰のあり方を教える。