年間第31主日(B年)

福音=マルコ12:28b-34


「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」(マルコ12:28

 

 きょうの福音において、イエスが答えた第一の掟は、申命記6:4-5の引用だが、マルコはそこに「思い」を付け加える。ここで「思い」と訳される言葉は、「理性の働き」を意味する。律法学者の答えには、申命記にもイエスの言葉にもない「知恵」という言葉が使われている。イエスはそれを「適切な」答えと認める。「適切な」とは、「理性をもった」という意味である。このように、理性の関与が強調される。愛にも(愛には)理性が必要なのである。だから、嫌いな人を好きになれなくても、愛することはできる。

 イエスと律法学者の間には、大きな隔たりはない。両者はともに、神への愛と隣人への愛を最も大事な掟と考え、しかもこの二つは切り離すことのできない、一つの愛だと主張する。この律法学者は例外的な人物であって、ユダヤ教徒の大多数はそのようには考えなかったかもしれない。彼らは神への愛を説き、隣人への愛を説くが、両者を結びつけることはない。また、数多くある掟を重要さに応じてランクづけをしたが、たとえ軽い掟とされたものであれ、すべての掟が守られねばならないと主張した。それで、神と隣人への愛が掟全体を集約する最高の掟だと考えることができない。しかし、たとえ例外的な人物であっても、イエスと同じように考える律法学者がいるのだから、一致は不可能ではないはずだ。

 きょうの福音はイエスとその敵対者たちとの間で交わされた一連の論争を締めくくる物語となっている。きょうの福音の結びに「もはや、あえて質問する者はなかった」とあるとおり、これ以後一度も敵対者たちとの論争は行なわれない。マルコは敵対者たちとの論争物語を終わるにあたって、イエスと一致できた律法学者を登場させ、すべての敵対者に一致を呼びかける。