年間第3主日(C年)

福音:ルカ1:1-4,4:14-21


「貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれた」(ルカ4:18

 

 イエスは宣教活動を始めるに際して、イザヤの預言をもってご自分の使命を人々の前に宣言する。イエスはご自分がメシア(キリスト)とされたのは「貧しい人に福音を告げ知らせるため」であると言う。「貧しい人」とは誰なのか。「福音を告げ知らせる」とはどういうことなのか。

 イエスは続けて語る-「捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げるため」であると。「貧しい人」とは「捕らわれている人」「目の見えない人」だと言う。そして、彼らに告げられる「福音」とは、「捕らわれている人」にとっては「解放」であり、「目の見えない人」にとっては「視力の回復」なのだ。さらにイエスは言葉を重ねる-「圧迫されている人を自由にするため」であると。「捕らわれている人」「目の見えない人」は社会の中で「圧迫されている人」なのである。そして圧迫から「自由」にされることが「福音」だと言う。

 ここで言われる「解放」「自由」という語は、ギリシア語本文ではどちらも「アフェシス」という同じ語が使われている。「アフェシス」は、七十人訳聖書(旧約聖書のギリシア語訳)では、圧倒的に「解放」「自由」の意味で使われる。旧約聖書が語る「解放」「自由」が何を意味するかを知るには、イエスのもう一つの言葉-「主の恵みの年を告げるため」-に耳を傾ける必要がある。「主の恵みの年」とは、五十年ごとに負債のすべてが免除され、債務奴隷が解放される「ヨベルの年」を指す。人間の欲望によって歪められた社会が五十年に一度、神が創造された本来の姿に戻され、神の民が平等に生きる生活が回復されることを実現しようとするものだった。

 この「アフェシス」という語は新約聖書ではほとんど「(罪の)ゆるし」の意味で使われる。社会の歪みは社会を構成する人間の歪みでもあるのなら、まず一人ひとりの罪がゆるされねばならない。イエスは、私たちが本来の姿を回復し、神の命に生きるために私たちの罪をゆるし、解放する。イエスによって「アフェシス」を与えられた者は、そこにとどまってはならない。個人に与えられた「アフェシス」は社会全体の「アフェシス」を実現するためのものだからだ。私たちの世界を神が創造された本来の姿に回復すること、これが主から遣わされるキリスト者の使命である。イエスが人々に宣言するご自分の使命とは、キリスト者の使命でもある。