待降節第1主日(B年)

福音=マルコ13:33-37


「目を覚ましていなさい」(マルコ13:33,37

 

 教会の暦である典礼暦は、A年、B年、C年の3年周期になっており、A年にはマタイ福音書、B年にはマルコ福音書、C年にはルカ福音書が朗読される。そして一年は待降節第1主日から始まり、「王であるキリスト」の主日で終わる。したがって、今日から新しい年(B年)が始まる。

 教会は典礼暦年の初めに毎年、「主の来臨」を祝う。今日の福音が含まれるマルコ福音書13章は「小黙示録」と呼ばれる。聖書には「終末」について書き記された「黙示文学」と呼ばれる書があり、旧約聖書では『ダニエル書』、新約聖書では『ヨハネの黙示録』がそれに当たる。

 紀元前二世紀頃、シリア王によるユダヤ教に対する大迫害が起こり、ユダヤ人たちの間に、メシアの到来に対する熱烈な待望が生じた。「黙示文学」はこうした精神的な背景のなかで生まれた。そして、この思想は新約聖書にも影響を及ぼした。新約聖書の著者たちは、イエスの死と復活によって終末の時が到来したと固く信じていたので、終末に関する黙示文学的な表現を借用して、自らの信仰を書き表した。しかし彼らは、終末に先立って起こるとされていた天変地異や大きな艱難などの描写によって、人々をいたずらに熱狂や不安に陥れるのではなく、むしろそれを沈静化させ、終末を迎える基本的態度として「目覚めている」ことを強調した。

 教会は待降節の始まりにあたって、信者の目を終末の時に向け、キリスト者の歩むべき方向を明確に示す。待降節第2主日、第3主日には、洗礼者ヨハネの証しが語られる。主が到来する道を備える洗礼者ヨハネの姿は、キリストの再臨に備えて生きるキリスト者の姿でもある。第4主日には、天使ガブリエルのマリアへのお告げの場面が読まれる。ガブリエルは、神による世界終末とその決定的救いを告げる者なのだ。このように待降節から主の降誕へと向かう典礼の流れは、一見、主の誕生という過去の出来事へと時間的にさかのぼっていくようでありながら、実は終末的完成の時という未来に向かっていることがわかる。この意味において、主の降誕とは、まさに神の国の芽生えの時でもある。終末とは、決して無限に遠い未来のことではない。その時は今の時のなかで既に始まっている。