「イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた」(ルカ24:45-46)
「復活顕現物語」はルカとヨハネ福音書に多く伝えられているので、復活節にはこの二つの福音書が朗読される。それらは似たような出来事がただ単に並べられているのではなく、弟子たちの「復活体験」が少しずつ深められ、弟子たちが主の死と復活の「証人」となっていくさまを伝える。
ルカ福音書では三つの出来事が報告されている。第一の出来事は、婦人たちが墓に行って天使のメッセージを受けたこと(24:1-12)。第二は、エマオへ向かう弟子たちにイエスが顕現したこと(24:13-35)。第三がきょうの福音である。これら三つの出来事を通して、弟子たちはイエスの死と復活に対する理解を深めていく。それはほかでもないイエス自身の説き明かしによってなされる。
きょうの福音では、イエスは弟子たちの「心の目を開いて」、「聖書を悟らせ」る(24:45)。最初の二つの出来事にはない「深まり」は「罪の赦し」です。受難に際して、イエスを捨てて逃げ去った弟子たちの心は、失望、後悔、恐怖、不安によって固く閉ざされていた。そのような閉ざされた弟子たちの心を開こうとするかのように、イエスは「彼らの真ん中に」に入り込んで来て、「あなたがたに平和があるように」と語りかける(24:36)。弟子たちの背信によって壊されたイエスとの関係の回復は、イエス自身によってなされる。弟子たち自身が回心したとき初めて、彼らは主の死と復活の意味を悟ることができた。こうして、「証人」の一人となったペトロは、きょうの第一朗読にあるように、主の死と復活への信仰が罪のゆるしにつながることを力強く宣べ伝える。