復活節第5主日 C年

福音=ヨハネ13:31-33a,34-35


「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34

 

 イエスは弟子たちに「新しい掟を与える」と言う(34節)。「掟」とはトーラーを意味する。トーラーは「律法・掟・定め・命令・戒め・教え」とさまざまな意味合いを持つが(詩119を参照)、元来は、神に従って歩むのに必要な道しるべ、すなわち生き方の指針のことである。それで詩編作者は「わたしはあなたの掟を楽しみとする」(詩119:16)と言う。

 イエスはファリサイ派の人々との律法問答で、神への愛と隣人への愛を最も重要な掟であると答える(マタ22:37-40)。この言葉はきょうの福音の一節、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(34節)と共通する。それは、神と人との縦関係の「相互愛」と、この縦関係に基づく横関係の「相互愛」である。この「相互愛」の関係を神は御子イエスとの「相互愛」によってイスラエルに啓示し直そうとされた。この「相互愛」は、御子イエスが十字架の死に至るまで、父である神に従順に従うこと、その全き従順に対して、御父は御子を復活させるという、人間の思いをはるかに越えた出来事として現された。この驚くべき救いの出来事がきょうの福音の冒頭部分(31-32節)で言われていること、すなわち「相互栄光化」である。この「相互栄光化」をモデルとして人間が互いに愛し合うとき、そこに新しい契約の成立-「平和」(シャローム)が実現する。だからイエスはこれを「新しい掟」と呼ぶ。そして、このようなヨハネ共同体へのイエスの愛に基づくヨハネ共同体信徒の「相互愛」の実践は、世(闇)に対してヨハネ共同体をイエスの弟子(光)として照らし出すと言う(35節)。さらにヨハ15:8では、こうした「相互愛」の実践によってヨハネ共同体を世に対して照らし出すことが御父を栄光化する、と言われる。御子イエスの十字架は御父を栄光化したが、キリスト者が実践する「相互愛」も御父を栄光化するのである。イエスは「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と教える(ヨハ15:13)。イエスの十字架は友に対する最大の愛である。愛とは神の完全な現れなのである。そうであるなら、イエスが与える「掟」自体が愛であると言えよう。そしてその「新しさ」とは、神が人の思いをはるかに越えて実現したその愛し方にある。