復活節第6主日 C年

福音=ヨハネ14:23-29


「父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む」(ヨハネ14:23

 

 復活節の主日に朗読される福音は、A・B・C年ともほとんどすべてヨハネ福音書である。復活の主日から第3主日までは復活顕現について語られるが、第4主日から第6主日にかけては、来週の「主の昇天」をはさんで、再来週の「聖霊降臨」へと向けられる。しかし、それは単に「復活昇天聖霊降臨」という時間の経過をたどるのではなく、「主の復活」の意味が少しずつ深められていく。つまり、復活節前半では復活のしるしが示され、後半ではその意味が説き明かされる。

 第4主日では、イエスと弟子たちの関係が示される。それは良い牧者と羊の関係、「知る」-「聞き従う」の関係である。第5主日では、弟子相互の関係が示される。しかもその関係はイエスと弟子たちとの関係と密接につながっている。つまり第4主日で示されたイエスと弟子たちの「知る」-「聞き従う」の関係は、ここで、互いに「愛する」関係であることが確認される。

 きょうの福音では、この関係はさらに発展する。ここではイエスのことば-第5主日で示された「愛の掟を守る」ことと「愛する」ことの密接なつながりが示される。それはまた第4主日で示された「聞き従う」関係の発展でもある。

つまり第4主日から第6主日へと、いわば「愛の関係性」が次第に深められつつ示される。しかもこの「愛の関係性」を大きく包んでいるのは、イエスと御父の相互愛であることが一貫して語られる。このイエスと御父の相互愛こそが、イエスの死と復活という出来事の意味なのだ。イエスの死とは、イエスが御父に完全に「聞き従った」行為であり、イエスの復活とは、御父がそのようなイエスの行為を「知った」ということである。イエスの弟子とは、イエスの死と復活にあずかる者のことであるなら、弟子たちがこのような「愛の関係性」にあずかる者であることはむしろ当然と言えよう。

 

この「愛の関係性」はイエスの昇天によって新たな段階を迎える。イエスは聖霊の派遣を約束する。この聖霊こそが御父と御子の「愛の関係性」を私たちの間に実現させる。そして、この「愛の関係性」の中にこそ主は居られるのだ。