死者の日

福音=ヨハネ6:37-40


「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることである」(ヨハネ6:40

 

 キリスト教信仰は、イエス・キリストにおいて決定的な形で神がご自身を与えておられると信じ、イエスこそが「道であり、真理であり、命である」(ヨハ14:6)と信じるものである。だが、多元的な世界のなかで、このことはキリスト教の宣教にとって一番難しい点でもある。イエスの教えに喜んで耳を傾ける人は多いとしても、イエスを通してのみ真の神に出会えるという主張が全面に出された途端に、現代人の多くは戸惑いを感じるだろう。 

 ヨハネ福音書6章でも、イエスの話を聞いた弟子たちの多くの者が、「実にひどい話だだれが、こんな話を聞いていられようか」(6:60)と言って離れ去った。これに対してペトロは、残った弟子たちを代表して、「あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」(6:68)と信仰告白する。神がイエスを通して語られるのだということ、イエスを通してのみ真の神に出会えるのだということを、ヨハネ福音書は繰り返し述べ、「わたしを見た者は、父を見たのだ」(14:9)とイエスに語らせている。これがキリスト教信仰の真髄であると同時に、受容されにくい点でもある。

 なぜなら、私たちの復活信仰は、使徒たちの証言に基づく以外にはないからだ。この証言に基づいて、キリスト教信仰が生まれ、教会が成立したのである。神の真理は、信仰共同体によって受け止められて初めて世界にもたらされるようになった。それは現代においても、キリスト教信仰の本質を構成し、教会の基礎となっている。

 これがキリスト教信仰の「教会性」である。信仰は教会なしにはあり得ない。イエスは教会なしには与えられない。非常にみすぼらしい仲介ではあれ、教会の仲介がなければ、イエス・キリストの啓示は世界に与えられない。「教会性」ということを忘れるならば、復活の希望は彼岸的なものになってしまうだろう。全教会がすべての死者のために祈る「死者の日」に、私たちの復活信仰を改めて問い直したい。