「ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た」(マタイ2:21)
聖家族の父ヨセフが主役として登場するのは、ヨセフに対するイエス誕生のお告げと、今日の福音の箇所である。教会の中で母マリアが早くから祝われてきたのに対して、聖ヨセフが教会で祝われるようになったのは、かなり後のことである。聖ヨセフのお祝い日は3月19日だが、これとは別に5月1日には、労働者の聖人として記念される。
詩編128:1-4は、神によって祝福された家族の姿-理想的な父と母の働く姿が語られている。現代では「性別による分業」の考えは時代遅れではあるが、ここでの関心事は別にある。人間の労働は神の創造の業に関連づけられる。この詩編が語る祝福された男女(夫婦)の働きは、アダムとエバの姿に対比される。神の創造の秩序に背いたアダムとエバに対して、神は次のように言われる。アダムに対しては「お前は顔に汗を流してパンを得る」(創3:19)と言われ、エバに対しては「お前は苦しんで子を産む」(創3:16)と言われる。労働は、神の創造の業に参与するときに初めて祝福されたものとなる。言い換えれば、人間はその労働を通して、神の創造の業に協力するように定められているのだ。そうでないときには、労働は単なる苦役になってしまう。
現代社会の中で家族が抱えるさまざまな問題の根底には、労働観の歪みがある。現代社会が持つ労働観は、その中で生きる家族の在り方に深く関わり、その進む道を方向づける。聖家族に襲いかかるヘロデは、主の道を歩もうとする現代の聖家族にも襲いかかってくる。現代を生きる聖家族、それはまた教会の姿でもある。
正式名称は「聖家族贖罪聖堂」、すなわち「聖家族に献げる、罪を贖う貧しき人々のための聖堂」を意味する。