聖霊降臨の主日(B年) 

福音=ヨハネ15:26-27,16:12-15


「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである」(ヨハネ15:26

  

 新約聖書の「聖霊降臨」の出来事は、旧約聖書の「バベルの塔の物語」(創11:1-9)に対応する。「同じ言葉を使って、同じように話」すという人間の共同性(創11:1)は、「天まで届く塔」を建てる(創11:4)という、神の領域を侵す行為によって壊され、言葉の「混乱」と追放がもたらされた(創11:9)。これは、「アダムとエバ」の第一の追放(創3:23)、「カイン」の第二の追放(創4:16)に続く第三の追放である。そもそも「バベルの塔の物語」は、ソロモン王によるエルサレム神殿建設への批判を内包すると考えられる(話が長くなるので、その説明はここでは省略する)。聖書の「救い」とは、この三重の「追放」「壊れ」の回復を指す。使徒言行録が語る「聖霊降臨」は、「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」出来事である(使2:4)。それは、破壊された共同性の回復であり、第一、第二の壊れの回復をも前提とする。この回復をもたらす聖霊を、ヨハネは「弁護者」「真理の霊」と呼ぶ。「弁護者」と訳されるギリシア語「パラクレートス」は、「イスラエルの再興」(ルカ2:25)という用例のある「パラクレーシス」(再興)とともにパラカレオー(側へ呼ぶ)という動詞から派生した語である。そこから「パラクレートス」のニュアンスがうかがえる。ヨハネは別の箇所で「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」(ヨハ1:17)と、旧い契約と新しい契約を対比する。聖霊は新しい契約をもたらす神の力であり、創世記の人間論(1-11章)が理想として掲げる生き方へと私たちを励まし導く力である。